ヨーロッパ横断紀行

ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜  太田 宏

17・・その2−ポルトガル(Valença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)からMonterreina(モンテレイナ)まで10/9−10/22))

【52.10/9()Valença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)からPonte de Lima(ポンテ デ・リマ)まで】

【53.10/10() Ponte de Lima(ポンテ・デ・リマ)からBarcelos(バルセロス)

【54.10/11()Barcelos(バルセロス)からVilarinho(ビラリーニョ)(Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院))まで】

【55.10/12()Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院)から Oporto(オポルト)まで】

【56.10/13() Oporto(オポルト)からSão João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)まで】

【57.10/14() São João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)からLamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)まで】

【58.10/15() Lamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)からMealhada(メアリャーダ)まで】

【59.10/16()Mealhada(メアリャーダ)からCoimbra(コインブラ)まで】

【60.10/17() Coimbra(コインブラ)からLisboa(リスボン)まで】

【61.10/18()LisboaからPortimão(ポルティマン)まで】

【62.10/19()Portimão(ポルティマン)からGuia(ギーア)まで】

【63.10/20()Guia(ギーア)からLoulé(ローレ)まで】

【64.10/21()Loulé(ローレ)からTavira(タビラ)まで】

【65.10/22()Tavira(タビラ)から(Spain)Ayamonte経由Monterreina(モンテレイナ)まで】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

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【52.10/9()Valença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)からPonte de Lima(ポンテ デ・リマ)まで】+【Memoire61

今日のコースはValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)からPaços→Fontoura→Sáo Bento da Porta Aberta→Rubiães(ルビアンイス)→Sáo Roque(サン・ロケ)→Labruja(ラブルジャ)→Arco→Arcozelo(アルコゼロ)を経由してPonte de Lima(ポンテ デ・リマ)までの34km

 

ポルトガルに入って最初のスーパー(Intermarché Valença)で飛びついたカップラーメンのYatekomo。即席ラーメンを見た最後の店となった。以後ポルトガルでは一切カップラーメンを見ることが出来なかった。日本食進展の余地ありと睨んだが。

卵は12個入りか6個入りしかなく買うのをためらっていたが、昨夜のアルベルゲ(Albergue de peregrinos São Teotónio)から以降6個入りを買う習慣が付いた。夕食と朝食に2個づつの目玉焼き、行動食に2個を茹で卵というパターンで6個を賄う。

調理道具が揃っているアルベルゲではこれらが可能になる。バイクの団体が30人ほど泊っていた。かれらは行動食として大量のゆで卵を大鍋に用意していた。まぁそれにヒントを得てこちらも作ってみた次第である。台所でうろうろしていたら一緒に夕食を食べないかと誘われ彼らとワイワイ言いながら食事をしたときに、

一人カップラーメンを食べたのであるが、皆欲しそうにするので一口ずつ試してもらった。どうだろう。この美味しさは と。皆な初めての味のようであった。日本より40年も遅れている!
チキンを数本分けてくれたりなかなかの栄養補給となった。かれらはバイクでSCへ向かう。少年から大人まで。少年チームが先頭を切って疾走していった。

Albergue de peregrinos São Teotónio(昨夜の食堂)(21:10)
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バイクの大人チーム。奥さん方や子供たちチームは別室。

 

5:30 起床。7:20 出発

今日は失敗が多い!どうしたことか。もう頭が狂ってしまったのか。

初っぱなの1km-3kmで迷路のような町で道に迷う。計測と青いマークのずれなどが原因。やはり市街地は2.15cm/500m(23000分の一)では無理があり細かい路地が抜けてしまう。倍の縮尺にすべきであった。

 

 

 

1.3kmの距離の中に150m450m780mの各々の位置で曲がり角(ランドマーク)があるのにも拘わらずその肝心のスタート位置(基点)が間違っていったためにあらぬ方向に。市街地は似たような曲がり角が多くなかなかの難物だ。

とまぁ、四苦八苦しながら最初の3.5kmを抜け出す。あとは快調な石畳

Valença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)から南の道は、石で敷き詰められた道と言っても間違いではない。石だらけである。車道もややもとすると石道である。ボコボコ車が通るたびに音がする。四角い石を敷き詰めた道路では隙間に杖の先のスティックが挟まってしまい腕を取られることもしばしば。もう杖は使えない。

 

9:30 余りの疲れでナッツ休憩。

小石がびっしり敷かれた道は靴と身体に堪える。

22_05_003 b point Fontoura 手前970m 9:30

11:09 22_05_004 c =São Bento  小休止、

Barに沢山のcamino が寄る。

11:42 22_05_005 a point 昼食休憩。--12:20

13:35-50 麓に店を出していた露店のような場所で日本人sakuraさんに会う。スウェーデン在住とのことで友人とポルトからゆっくり歩いているのだと。

坂の途中を北向きに振り返る(14:30)
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14:37 山のtop近くで6人グループに取り囲まれる。記念撮影。

(camino達と記念撮影)(14:35)
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こんな団体で歩いているがもともとは皆1人から3人連れであったのだ。

全員がSCへ向かっている

 

pine resin(松脂採取の山道)(14:51)
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岩がごろごろの下り坂、松には脂取りの袋がぶら下がっていた。

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

             
22_05_008 b point
標高398m Porttela(410m)の近く標高398mを登り下り。久々の本格的山岳!

15:50-16:25

sacred coutryside landscape(15:44)
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Bárrio
の村落

417m count---3度目の軽食休憩、22_05_010 a-b間 傾斜地の空いた葡萄園 もう日が陰りだした。日陰では寒い。この寒暖の差は何だ!

18:30 Ponte de Lima の橋の袂にある立派なアルベルゲ到着。ベッドルームは18台が平置きになった部屋が2つ、贅沢な造りである。

Ponte de Lima(ポンテ デ・リマ)のアルベルゲ(Albergue de peregrinos de Ponte de Lima)到着は18:30.この後到着はバイクの2人のみ。遅い到着で洗濯物は乾きそうにない。早速取り掛かる。干した物は夜半に室内に取り込み階段の欄干にぶら下げておく。

全部化繊なので、乾かなくてもそのまま着て大丈夫。歩いているうちに乾くのだ。靴下だけはそうもいかず、1日交代で履き替えリュックに結わいつけて干すという習慣を続けている。

Ponte de Lima(ポンテ デ・リマ)(19:08)
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21:10くらいまで外の桟敷で夕食(Restaurante Petiscas)。アルベルゲの目の前にレストランがあり助かる。長時間粘っていた。

長く歩くと、スケッチタイムがゼロとなり問題。日中はひたすら歩き、到着地点の景色をスケッチするにしろこれからは夕刻が早いためヘッドランプを点けてのスケッチとなる。しんどいことだ。一刻の余裕もないところが苦しい。

Ponte de Lima(ポンテ デ・リマ)
(sketched at 19:25 in angle of 190°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/204b3883cb1ecf5c38afc4e33e93a8687d04b8c4.68.2.9.2.jpeg
夕刻迫る川をスケッチ。もう川辺の木々は紅葉が始まっている。

(夕食)(19:56)
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すこし張り込んだ。パンは温めてくれて布巾で包んでくれている。



宿泊camino 21人しかいない。

 

Map and Elevation Profile Between Valença do Minho and Ponte de Lima
(
ヴァレンサ・ド・ミーニョからポンテ デ・リマまでの地図と標高プロフィール)
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この区間の最高標高は398m

 

 

【53.10/10() Ponte de Lima(ポンテ・デ・リマ)からBarcelos(バルセロス)まで】+Momoire62

今日のコースはPonte de Lima(ポンテ デ・リマ)からSeara(セアラ)→Alto da Albergaria(アルト・ダ・アルベルガリア)→Vitorino dos Piáes(ヴィトリノ・ドス・ピアンイス)→Ponte das Táboas→Alto da Portela→Vila Boa(ヴィーラ・ボア)を経てBarcelos(バルセロス)までの35km

 

7:02 出発。スペインで言うところの8時なので薄明かるい。町中ではヘッドランプはいらない。
石畳の橋を渡っていく。アルベルゲのスタンプはこの橋をモチーフにしたものだ。建物に点る明かりが川面に美しく映えている。広場を掃除する人だけが通りを動く、500mもの楓の4列の並木。見事な空間を朝の散歩であろうか老人がゆっくりゆっくりと歩を進める。

Ponte de Lima(楓の植列:ポンテ デ・リマ(7:14)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/4f4847bd726fd80fb2d64462116cf3e036a5c75f.68.2.9.2.jpeg

川沿いの道をさらに800m。京都市渡月橋のような気色。長い堰の向こうに霞が掛かっている。

Rio LimaPonte de Lima(リマ川の朝霞:ポンテ デ・リマ)(7:24)
京都嵐山に似た風景 川面の霧が美しい
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7:32 通行する人、ジョギングする人。ボン ディアス! 「Bom Dia ボン ディア」

「ス」が多かった。間違って摺り込まれた頭。改善しなければ!

 

迷うことのない緩いカーブ道。これが延々5kmも続く。22_06_002 d点から350mpoint 。麦わらを運ぶトラクター。パイルしたばかりの麦わらは熱を帯び燃えるように蒸気を吹き上げている。朝日に当って美しい。朝の農夫の仕事は忙しいのだ。巡礼に手を振ってくれる。8:31

Barros(ポンテ デ・リマ郊外のバーロスの風景)(8:33)
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積んだばかりの麦わらから湯気が立ち昇る。それに朝日が当たった。

 

Seara(セアラ)
(sketched at 8:39 in angle of 170°)
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朝方、坂道を南に登っていくとはっとする光景があった。

葡萄畑が続く。半分ほど色ずいている。石畳でも15cmほどの多角形が組み合わされ表面が凸凹。頭上に葡萄の棚をしつらえたcamino 道。

細い道はどこまでも石畳。「葡萄畑」や「栗畑」という組み合わせで、うねうねとどこまでも続く。藤棚のように葡萄の棚が続くこともあり、向こうに山並みとマッチしなかなかの景観である。ごつごつした石畳もあり足には応える。そこで考えた。これこそ健康の秘訣ではないかと。足のツボをぐいぐい刺激してくれるので健康増進には欠かせないものとなっているのではないかと。

Alto da Albergaria(アルト・ダ・アルベルガリアの石畳)(8:59)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ff6cb73448554702ce66e3a863aa0a0e33cd3373.68.2.9.2.jpeg
左は栗畑

9:30-45 ナッツ休憩。行き過ぎたcamino 4人。少なくなっている。

 

10:40 軽食休憩。22_06_006 Cafe600m手前なるも空腹とパンを消費するため敢えてcamino 道から外れ林道の中へ。-11:21

13:14--33 22_06_009 b point 教会の影で昼寝。標高100m

14:22--14:40 Pastelarias発見。パン、クロワッサン、菓子パン、コークで3.8ユーロの安さ。 22_06_010 c_d

 

near Ponte (ポンテ近く)(15:50)
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学校に戻っていく遠足の生徒たち

登り下りの多い田園を歩き、刈り入れの終わった畑の側を通りながら果てしなく歩く。Barcelos 直前の"いなか道(石畳)938mx 949mL字形。10cm方形の石を敷き詰めた道。

漸くBarcelos(バルセロス)に到着。雄鶏と青年の話のように数々の伝説を秘めた魅力的な町である。南から北に上ってくれば最初に宮殿の城壁が待ち構えていた町であるが北側から南下したためそんなこととは露しらず。丘の上の都市をさまよう。

地図などを見ていたら男性が声を掛けてくれ、アルベルゲ(Albergue de peregrinos Cidade de BarcelosRua Miguel Bombarda, 36)まで手招き。聞くと、かってcaminoとしてSCまで歩いたという新聞記者であった。

Barcelos(バルセロスの置物)(17:46)
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バルセロス・アルベルゲはここから近かった

 

 

 

 

 

Map and Elevation Profile Between Ponte de Lima and Barcelos
(
ポンテ デ・リマからバルセロスまでの地図と標高プロフィール)
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この区間の最高標高は196m

 

 

 


 

【54.10/11()Barcelos(バルセロス)からVilarinho(ビラリーニョ)(Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院))まで】【Memoire62

 

今日のコースはBarcelos(バルセロス)からBarcelinhos→Carvalhal→Pereira(ペレイラ)→Pedra Furada→São Pedro de Rates→São Miguel de Arcos(アルコス)→Junqueira(ジュン・ケイラ)→Ponte do Ave(ポンテ・ド・アーヴェ)を経てVilarinho(ビラリーニョ)(Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院))までの29km

5:30 起床。スクランブルエッグ、細切れサラダ、鰯缶詰、バナナ、チーズ、パンなどしっかり食べる。ゆで卵、ドーナツ、オレンジ(昨夜食べた感では今までで一番のオレンジ。一昨日のはスカスカで最悪。見分けるコツはないものだろうか。)バナナ・・・などかなりの重量! まぁよしとしよう。

今日は行程が久々の20km台。しっかりスケッチしよう。

教会前のパン屋、トラックの運転手も南北を間違えているような注意「SCは反対だよ」と。ファティマというとよっぽど珍しいのかキョトンとした顔。

Templo do Senhor Bom Jesus da Cruz(イエス寺院の中) (7:38)

Barcelos(バルセロス)の中心を流れるRio Cávado(カヴァド川)に中世の橋がかかっている。Ponte Medieval de Barcelos(バルセロスの中世橋)であるが南に渡り終えて振り返ると要塞のような石垣が聳えている。8:18 橋をスケッチ。ここで逆コースを歩いている男性と目があう。

 

Igreja de Santa Maria Maior - Matriz,
Ponte Medieval de Barcelos
(
サンタ・マリア教会と宮殿 バルセロス中世橋より)
(sketched at 8:00 in angle of 23°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6291fdc89c13bd6b69400f5c6613ea62d999fafb.68.2.9.2.jpeg

実は一部始終を、道路を挟んで南側にあるBarの人たちが見ていたのだ。はやりの店らしく、店外にも人が溢れている。小生が恰好の餌食となった。入れ代わり立ち代わり、絵を見学しにやってくる。

石垣の細かいところ描きたいが先に急がなければまたアルベルゲ到着が遅くなってしまうのだ。この絵を描いているときに大発見。橋の袂にある水車小屋に、ホタテ貝のマークがあった。これはローマ時代にかけられた橋でもあるし、中世から巡礼者たちが通っていた橋でもあり歴史を感じさせてくれていた。こちらにやってくる一人の巡礼者がいた。確かアルベルゲで一緒だった男性である。

 

22_07_001 c-d間。この区間最初の190mで左斜めに道を取らなければならないところ少し行き過ぎる。突然マークがなくなったから気づく。

バスの運転手、SCの方向を示してくれる。

9:23 22_07_001 e-f間  352歩 Auto Mercado(コンビニ)あり。

 

トンネルから3461歩。My Mapを見ないで何処までも行けるか?

10:19 Pereira Bar カフェコンレチェ休憩。

今日のコース 一昨日、昨日と違って町を縫うためかBarMercado が多い。--10:34

 

4100mで不明。チェック、

10:50 再開。青いマークあり。

22_008_005 aから280mpoint

11:38 2212 道路の曲がり角からのcount Videoを撮る。

12:00 4km count point 。分岐に赤白のX印と黄色のX印。GR11のコースでもあるのだ。

12:30 6012 count. 教会内。

6043 12:34 昼食・充電休憩。78%

 

R.Dr.Manuel Monteiro Igreja de São Pedro de rates

(ドウ・トール・マヌエル・モンテイロ通り サン・ペドロ・デ・ラテス教会)

(sketched at 13:16 in angle of 800°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/deb6e8da9b2dfb9e1a99cc00b9976f67ed8d3300.68.2.9.2.jpeg

小さな村にある教会が博物館越しに見えていた。ここで昼食。足の悪いご婦人が車から降り、この正面の建物の右側に入っていった。無料の公衆トイレであった。何も札もないため旅行者にはわからない場所である。

 

13:38 出発。

15:07 で挫折。青いマークが消えた。この辺りから、ポルトに向かう道が二手に分かれる。多数の矢印が両方向からこの村まで続いていると見た方がよい。この地点から海までは5km。海岸コースと陸コースはポルトまでほぼ並行して続いている。ここで、黄色の矢印を逆にたどって失敗。どうも海岸コースに誘わててしまったらしい。本線からどんどん離れていく。Maps.Meで確認すると12kmコースから外れている。最短ルートでcamino道に合流することにした。なんと2kmも遠回りとなったか。Quinta São Miguel de Arcos (キンタ・サン・ミゲル・デ・アルコス)で合流。

 

15:00 近道の方の青いマークを歩いていたらトラックが止まりリンゴを呉れる。そのまま歩きながらかじる。非常に美味。感涙。22_08_010 b-c 510m point

 

Ponte do Ave(ポンテ・ド・アーヴェの石畳)(15:27)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6ebff51b9bf3249aad9415758a7e4fc0cadcf5c4.68.2.9.2.jpeg

Ponte do Rio Ave近くで逆方向(つまり小生と同じ方向)に歩く人。Barcelosのアルベルゲに泊まった人で朝スケッチをしていたら逆に歩く人と挨拶を交わしたその男性である。やっと追い付いた感じ。驚くべきことにドイツ・アーヘンに住むブルガリア人Steliyanであった。SCへはガールフレンドと一緒に来たものの23日を過ごした後に足の都合で別行動となってしまい、またその兄弟の都合でポルトに会いに行くという複雑な理由で反対方向を歩いていると言う。彼もまたあらゆる人からSCはそっちじゃないんだと言われ今ではFátimaに行くんです と応えるようにしているんだと。"ポルト"と言っても聞き返されるだけだと。皆 苦労しているようだ。Rio Ave(アーヴェ川)を渡る景色が絶景。

ここから斜面をよじ登っていく近道を教える。Sabariz(サバリス)の村を短絡してRua da Ponte de Ave(N306)の道をVilarinho(ビラリーニョ)の方角に登っていく。

狙いを定めたアルベルゲAcogida Casa Familia Vidal(Rua do Salteiro, 87  こちらは町を突き抜けまっすぐ南に下っていく。)Albergue Casa da Laura(Rua Estreita, 112 こちらは交差点より手前)も、地元に聞いても探し当てられず。

しかもこの青年10€では高いと難癖をつける。もっと安い修道院があるというのでレストラン(Restaurante Castelo)でその場所を聞く。

Albergue de Peregrinos do Mosteiro de Vairão(ヴァイラン)というN318国道を東に2km行ったところにトボトボと歩きだす。教えてもらった小さなスーパーでたっぷりの食料を買ったため重くなったリュックと雨が降り出したので傘をかざし、夕暮れの暗い道を下っていくのだ。

一人の場合は粘り強く、先ほどの高いほうのアルベルゲに投宿していたであろうに。

場所はMafalena(マダレナ)修道院が見えてきた。雨は激しくなる。宿にやっとのことで到着。親切な老夫婦が、洗濯用のシャボンを出してくれたりして修道院の一室に投宿。ヒーターを廊下で焚いてくれ洗濯した衣服を乾かしてくれたりした。

キッチンは全部整っておりそれぞれが夕食を準備。青年はこの近くに買いに行った卵と缶詰とトマトを一緒くたにした合計1€の夕食。こちらも3€くらいの夕食。ともに貧乏生活が板についた真の巡礼者である。


Rua de São Bento Mosteiro de Vairão(
ヴァイラン修道院)
(sketched at 18:24 in angle of 140°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/9180f4d74d911195d4d4a36d17003be0cc059975.68.2.9.2.jpeg


 

 

Map and Elevation Profile Between Barcelos and Vilarinho/Mosteiro de Vairão
(
バルセロスからビラリーニョ(ヴァイラン修道院)までの地図と標高プロフィール)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/f443fe6849cffd852e3c3734dd42c6de61f1a494.68.2.9.2.jpeg

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この区間の最高標高は156m

 

 


 

【55.10/12()Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院)から Oporto(オポルト)まで】+Memoirs63

今日のコースはVilarinho(ビラリーニョ)近郊のVairão(ヴァイラン)にあった修道院(Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院))から出発して、Giáo(ジアン)→Vilar→Mosteiró(モステイロー)→Vilar do Pinheiro→Maia(マイア)→Capela de Araújoを経てOporto(オポルト) までの28km

Mosteiro de Vairão(ヴァイラン修道院)(7:20)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/fcda4edbabeaa698596709746659be4198b18e75.68.2.9.2.jpeg

 

今日はPorto!  28kmのショートコースと33.5kmの海岸コースがある。ここVilarinhoに至る前から海岸への近道は始まっていたようだ。幾つかのヴァリアントルートがあったのはGR11でもお薦めのルートであったからであろう。ファティマへ行くためにはわざわざ海岸を回らなくても良かろうということでもっぱら内陸部に青いマークが付けられたのではないだろうか。5:25起床。毛布を4枚もかけて寝たので其を畳み他の部屋に返す。朝食は鰯の缶詰(0.8ユーロ以下と安く上手い、オイルが入っているので刻んトマトとフライパンで料理しても旨い。

ブルガリアの青年はこれにスクランブルエッグをまぶして食べていた。地元で買うと5個で1ユーロと激安。彼は1ユーロ近辺の夕食を食べていたことになる。)、ゆで卵、パプリカ風の大きな赤玉ピーマン(Pimento Vermelho(唐辛子) これがまた甘く美味しい。)、葡萄やオレンジ といつも腹満腹の食事。

ブルガリ人Steliyanは遅く起きたために支度が間に合わないので道順を教えておいた。さすがcaminoである、一回道を聞いたら頭に入ったらしい。しかしちゃんと来るであろうか。

古い石壁が続く国道(N306)4kmほどうねうねと行くと5差路となっていて、国道は90度西に曲がっていく。ここからが正念場。実は非常に細い道R.da Carrapata(カラパタ通り)へわけ入らねばならない。小学校があったりするPadrão(パドラン)ではR.do Padrão(パドラン通り)と名前を変えつつ、南下。

 

8:27 3740-count 青いマークがあるが、一緒にあったファティマのマーク消されている 黄色いマークが四辻の左側に見える。ここでMy Mapで確認。

22_08_003 b点手前310m

黄色の矢印は単にそのまま進めの矢印、暑くなってきたので半袖になる、ついでにナッツ休憩。砂を積んだ小型化トラックが止まった。スコップで14杯分の砂を荷車に積んだ。石畳の坂道を運んで行く。

1分で戻ってきては其を繰り返す。大変な重労働。camino も頑張らなくては!-8:43

8:53 雨が降りだす。22_08_004 a point

10:24 雨が止んで雲間から僅かに光りが差す。最初の休憩。22_08_006 a 320mの地点。高速まで1210m10:50出発。

 

10:58 559歩 再度雨降りだす。レインコートを羽織る、黒い雲が流れる。ポルトガルでは一旦雨が降ると2ヶ月続くというのは本当かも。

 

11:12 高速下。22_08_006 cpoint

当初は工場地帯と思ったOpen Street Map上のピンク地帯は「工業団地」であり数多くの企業が軒を連ねる地帯だった。Maia(マイア)の町に入ったあと、N13を横切る。ここが危険な場所であった。2重のガードレールがセンターラインに設けられているのにも拘わらずそこに青色の進め矢印

高さは1mほど。車がガンガン通る道(EN 13)を渡れと。しかもガードレールを跨げと。こんな危ない標識は初めてである。黄色の矢印だったらそこは迂回するように誘導する筈。まあ迂回してよかったのであるが試しにガードレールを跨いで横断してみた。一旦ガードレールの上に身体を寝かせるという塩梅で向こう側に。男性なら出来るが女性なら無理である。しかも交通量が多い。

横断した先に小さな道がさらに南下している。Oporto(オポルト)まで5kmくらいの道をまっすぐそのまま進めばよい。建物が道路わきにぎっしりと並びだし、頻繁にあったバス停から大都市は非常に近くなってきていることを実感。

本日のコースは完全なコンクリの道でほとんど巡礼に合わない。おそらく皆はこの車道(しっかり歩道が付いているが。)を嫌い、海岸コースを北上しているものと思われる。2,3km遠回りにすぎないため

11:57 portoまで、9kmの地点。22_08_008 b

12:54 portoまで5km地点。

6222count 670m行き過ぎている。進行方向に直線690m進みcaminoに合流。この合流point22_08_012 bpoint  もうすでにPorto 市内。


もう13:53にもなっている。camino 道はいよいよ細くなり歩行者天国の通りとなった、正面に教会の尖塔が見える。Igeja e torre Clérigosである。

公園で昼食休憩しようと思ったのにまた雨が降りだした。22_08_012 cの手前140mの地点。このままHostelへ直行。

 

この場所から200mに泊まるHostel があったのに、ちゃんとMy Mapに書き込んでおかなかったために市内へ至る複雑なcamino 道を歩くことに。ツーリズモで確認して戻ることに。1時間くらいロス。camino の複雑なジグザグは石畳の急坂道を登り下りるするものでとても現代向きではない。

R.de Cedofeita Oporto(セドフェイタ通り オポルトの石畳と町並み)(13:46)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b3df4c870bda1280d69ca3a14e78cc534065ae4a.68.2.9.2.jpeg

 

 

観光客から持っていたLikiの杖を「すばらしい」と言って褒められる。どこで買えばよいのかと。足の悪いご婦人であったようだが、今使っているよりもスポーティーなカッコいいものが欲しかったのだろう。先方が考えてもみなかったカテゴリー:すなわちスポーツショップを教えてあげた。

 

標高50mくらいの丘を登り降りしながら市の中心部に到達

予約したホステルは町の上端の丘の上でなんと先ほど通ってきた場所に近い。ツーリストオフィスは町の下部で駅前。旧市街地内はまさに迷路でありまた急峻な石畳の道。すべってしまいそうな石畳の坂道は危険! 電車通りはまだ安心して歩ける。

R.do Ferraz Oporto(フェラス通り(camino):オポルト)(14:18)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e799b158df29defdedc04d7320aab74cabec8915.68.2.9.2.jpeg
雨でぬれている石畳。転げ落ちそうになる。杖でやっと身体を支える。

 

R.de São Filpe de Nevy ,Igreja dos Clérigos(クレリゴス教会 )
(sketched at 16:59 in angle of 220°
 r.das Carmelitas(カルメリッタス通りから))
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/31ccb135f18e6e5a1abf512a42e5e2aba3ab9369.68.2.9.2.jpeg
この一方通行の車道。相当な角度で車が突進してくる。


Clérigos Tower upper of Oporto
(
クレリゴス教会の塔を丘の上に戴いたポルトの町)

(sketched at 18:11 in angle of 20°)
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今日のコースは土道ゼロ、石畳か自動車道、人気がないわけである。出会ったcamino 1人だけ。

 

Portoの町、Tuiの町と同じく川面から町が立ち上がる。タワーを最上段に構え何十層という建物の重なり。見事である。

 

雷鳴と豪雨と晴れ間が目まぐるしい。順常ではないこの天候。先行きが心配だ。

 

                               

 

Map and Elevation Profile Between Barcelos and Vilarinho/Mosteiro de Vairão
(
バルセロスからビラリーニョ(ヴァイラン修道院)までの地図と標高プロフィール)
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この区の最高標高は156m

https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/7da0ff8fa72a9f44873edbc48bccaf74677f6f5a.68.2.9.2.jpeg
ポルトの町歩き地図

 

ポルト
Porto(
ポルト 英語ではOPorto:オポルト)には、Sé do Porto(Porto Cathedral;ポルト大聖堂)(ポルトガルで最も重要なロマネスク様式の建築。ゴシック・バロック様式への改造を留める。)や、
Igreja dos Clérigos(
クレリゴス教会 )とTorre dos Clérigos(クレリゴスの塔(鐘塔))Palácio da Bolsa(Bolsa Palace(ボルサ宮)Igreja Monumento de São Francisco(モヌメント・デ・サンフランシスコ教会)
など無数の建造物があり、旧市街区域(ポルト歴史地区)は世界文化遺産。

ポートワイン
Vinho do Porto(
ヴィーニョ・ド・ポルト 英語: Port Wine(ポートワイン))
ポルト市とはDouro(ドウロ川)を挟んで南の地区にワイナリーがひしめく。ドウロ川上流域(アルト・ドウロ地区)をポートワインの法定区域と定めている。厳密にここで生産された葡萄を原料とし、まだ糖分が残っている途中で、発酵を止めるためにブランデーを注ぐ。このためアルコール度数が常に高く(20度前後)また甘いと
白が食前酒。赤が食後に飲まれる。
ポルトの次の宿São João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)で食後にポートワインを注文したが、その意味も知らずに甘っ!といって飲んだのにすぎない。最低3年は寝かしたものとてもっと愛しむように飲むべきであった。


 

【56.10/13() Oporto(オポルト)からSão João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)まで】+Memoirs64--9th day of Camino Portugués

 

今日のコースはPorto(ポルト)からVila Nova de Gaia(ビラ・ノバ・デ・ガイア)→Perosinho→Barrosa(バローザ)→Mosteiro de Grijó(クリジョー)→Lourosa(ロウロザ)→Ferradal→Malapostaを経てSão João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)までの37km

 

Porto(ポルト)のホステルPorto Downtown Hostelでは朝食のサービスがあるというので7:30に食堂入り口に陣取って待っていた。旅装は整えているので朝食の準備が出来次第食べたら飛び出すだけである。一向に係り員が出勤してこないのだ。この間WiFi環境を利用してネットで交信したり充電したりとやることは山ほどある。

8:00に出発し町の中心部に向かって降りていく。Porto駅前をそのまままっすぐ南へ。対岸のVila Nova de Gaia(ビラ・ノバ・デ・ガイア)へドウロ川を渡すPonte Luís 1 (ルイス一世橋)が見えてくる。道路・鉄道併用の橋で重厚である。

South angle from Ponte Luís 1 (ルイス一世橋から南の方向)(8:15)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/501d3105e72cc120caf53e121dea8a9b5c6a74d8.68.2.9.2.jpeg

East angle from Ponte Luís 1 (ルイス一世橋から東の方向)(8:17)
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このアーチは外部から眺める方が美しい。が、今はそのメトロの軌道面の横に付けられた歩道を渡って対岸の町を登っていく。左岸や右岸の景色は絶景。南北を貫くAv.da República(レプーブリカ通り)は広い。丘の上部まで一直線である。My Map上は高速道路A44と交差する箇所にランドマーク点(23_01_002 a)が付けてあるが、この箇所では高速は地下となっているため地上では確認できない。

メトロのJoão de Deus(ジャン・デ・ドゥース)駅がある箇所である。ここから1.2km、標高105mから159mというような上りの道が続いた後Santo Ovidio駅で漸く一般道に分岐して坂道を下っていく。

この交差点で、Fátima(ファティマ)行きの道路標識を発見。

高速A29と交差する箇所で、目もくらむような高さまで階段道が真っすぐ続いているのが見えた。当然これがcamino道だろうと思って進み始めると地元の男性がそっちではないと、10度ほど右寄りの石畳の道を示してくれる。あぁ命拾いした。分かりずらい場所である。

しかしこの後がすごかった。住宅地に残された手つかずの丘があるのだ。そこを突破しろと矢印は示す。えっ。こんな杣道を?入っていくのが躊躇われるほどの細い山道であった。迂回してもよいのだがここは矢印に沿って行ってみよう。

Estrada Romana(エストラダ・ロマナの石畳)(9:44)
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大きな水溜まりで道が途絶えるも、林に入ればそれを迂回できることも学習している。そういう林のcamino道が何回か現れた。土道以外は石畳の道。SCへ向かう巡礼者は殆ど会わない。

Serrade Caneles(セラダ・カネロスの石畳)(10:16)
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10:33 Barでカフェコンレチェ休憩。23_01_008 10km pointTVでビショップ8人が出る程の壮大なミサの模様が放映されている。10:33 町では折しも教会の鐘が連打されている。此方は葬式であろう。Barにどっと人がは入っていた。

11:28 石畳の静かな路地に車から降りた女性。家に入らず小生を待ってくれている。いちじくを袋一杯を抱えていた。幾つかの持っていけと。もうこの時季すっかり熟れており皮ごと食べられるのだ。大きいのを2つ頂いた。有難い。

12:34 本日11人目のcamino 。日本人である。SJCCからSCまでを歩いた後、リスボンからポルトガルの道を歩いておられる。3日ほど前から4人で行動しているのだと。M.Oさんは広島のご出身。

13:23-14:20 10kmMy Mapを見ないで歩いた。Lidiの大型スーパー。Porto からリュックに積んできた食料は何であったか? 道路上の空きスペースを見つけマットを敷き昼食休憩。

 

8500count T字路。黄色い矢印が出ているものの逆向きはどちらの道かを示す青いマークが無い。Give upを宣言し、Maps.Meで現在位置を確認しようとしてスマホを取り出した時だ。一方の方向にある電柱に微かに黄色のX印発見。一方通行はcaminoではない、さすれば同様に青でもXである。方向は定まった。スマホを戻しそのままcount を再開。今日はそれ以外はマークがしっかりしているので11.5kmまで道を辿れた。16:50

町は未だだとすればこの場所(とある靴工場である。17:00終業なのか沢山女性達が出てきた。身体にハンディーを負った人も幾人か。)2度目の軽食休憩。


 

São João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)(17:17)

https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/8c1acfd3585a624fb01cf34f92386fb47787295b.68.2.9.2.jpeg
小綺麗な都市であった。13階建てのビルをポルトガルで初めて見た。

13階や8階建てビルが建つほどの大きな町であるがひょっとしてもう町に着いてしまったのかも知れない。My Map11.5kmの間全く見ていないので町名が分からないところが憎い。幹線を歩いていないため町の境界を示す看板を見ることがないためである。Maps .Me で確認!

な、なんともう 今日の目的地 São João da Madeira (サン・ジューアン・ダ・マデイラに着いている!今夜のHotel までは進行方向に540m17:25 チェックイン。

バスタブに浸かる間もなく洗濯、リュックの食料で食事、明日の買い出し、スケッチと。たっぷりと日がくれてしまった。これからのスケッチは手元が見えるようにヘッドライトを携帯せねばならないだろう。ホテルの場合はキッチンが使えないため外食となる。フロントで紹介してもらった郷土料理の店ponto.zeroへ行って1品料理を注文しよう。フルコースを食べられるほど胃の附が空いていない。

Capela Santo António São João da Madeira

(サント・アントニオ教会 サン・ジョアン・ダ・マデイラ)
(sketched at 20:00 in angle of 345°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/34bdc86662fb32dcdf841693e2962357abcdad16.68.2.9.2.jpeg
夜のスケッチとなってしまった。日暮れがだんだん早くなってきた。

 

Map and Elevation Profile Between Porto and São João da Madeira
(
ポルトからサン・ジョアン・ダ・マデイラまでの地図と標高プロフィール)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2c4f319d11bfa8e5c904053fda0cee456aa4a925.68.2.9.2.jpeg

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この区の最高標高は251m

 


 

【57.10/14() São João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)からLamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)まで】+Memoirs65--10th day of Camino Portugués

 

今日のコースはSão João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)からSantiago de Riba Ul→Oliveira de Azeméis(オリヴェイラ・デ・ゼメーイス)→Pinheiro da Bemposta(ピニェイロ・ダ・ベンポスタ)→Albergaria-a-Velha(アルベルガリア=ア=ヴェーリャ)→Serém de Cima(セレン・デ・シーマ)を経てLamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)(テント)までの39km

今日は3日振りの快晴、18階建ての大きなビルの一画にあるホテルから出発する。こんな高いビルが一戸だけある町など知らない。東の山陵に日の出の徴候、黄色+ピンクの晴れやかな空。ホテル3rd floreの食堂より。8:02出発、8:04日の出。

教会通り(8:05)
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この左側先を右に曲がる必要があったのだ。そのまま真っすぐいき矢印を見失う。

意気揚々でスタートしたものの僅か1300mの所にあったランドアバウトでマークなくなる。計画したコースはなぜかずっと離れている。São João da Madeira (サン・ジョアン・ダ・マデイラ)では当初A.H.B.V.(Bombeiros Voluntários;消防署)に泊めてもらう予定にしていたが、場所が町の外れにあり不便なことから駅前のホテル(Hotel A.S. Sao Joao da Madeira )にしてあったのだ。My Mapを更新していなかったために、次の朝の行動開始pointが間違ったものとなっていた。

また似たような地図であったため、地図をかなり読み飛ばしていたのが原因。正しくは前の日の地図は18シートまであり、その2ページ前の23_01_016c pointがホテルの場所で、330m行ったら右に曲がらなくてはならなかったのに真っすぐ行ってしまった。

そのまま1900mまでカウント。23_01_017 bから540mのポイントで青いマーク発見。カウントを続ける。9:04 3240=23_02_001 bpoint 。やっと本日分の地図の始まり。

 

4300countからMy Mapに切り替える。矢印を探しながらキョロキョロするより、こちらのほうが景色を楽しめ安心である。

23_02_003 b point(標高222m!)から青いマークに従う。ほぼ南下のため。

 

11:18 5320までcount した所で格好の空きスペースを発見。ポールが円弧を成して18本、大きな緑色のゴミ箱3個、タイル工場の明るいフェンスで仕切られている。半円の半径20mほど。23_02_006 aから350mpoint 12:30出発。

 

2:08 7200mで待望のフォレスト。土道が始まる。

8008歩で大きな水溜まり。その前に分かりずらいY分岐路。東と西。

憶測で西に進む。しかし8400歩で万事窮す。藪の道となってしまった。470歩引き返す。何と松の幹に青いマーク! 東に方向転換。

Faria駅近くの丘陵(9:09)
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Costa(9:11)

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丘陵をup-downしながらまぁよくもくねくねとcamino道は曲がっていくものだ。
或る時は道が無くなったと思い、行ったり来たり。なんのことはなかった線路際の人の足跡がcamino道であった。こんなってないのではないか。と不満。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これでもれっきとしたcamino道!(13:11)
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14:42

15:01 結局9550歩数。芝生で睡眠休憩+充電。

 

16:00 Albergaria a Velha

Albergaria-a-Velha
(
アルベルガリア=ア=ヴェーリャ(="古い住まい")の踏切)
(sketched at 16:50 in angle of 30°)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ad63d69e3a1b3229c70c1189d2ab9f665950e00e.68.2.9.2.jpeg
すぐ近くにAlbergaria-a-Nova(アルベルガリア=ア=ノーヴァ(="新しい住まい")という町があり、対比しているのが面白い。

当初予定のBVAV(消防署アルベルゲ)に到着したがさらに10kmを目標に進んでみる。途中水、缶詰、バナナなどを購入。2日後のCoimbra(コインブラ)には早く着きたい。Albergaria-a-Velha(アルベルガリア=ア=ヴェーリャ)の消防署はパスし、10kmくらい先を目指すことにした。テント覚悟の買い物。スーパーで夜食と水1.5Lを買い込んだものだからリュックが重い。夕刻が迫ると森や寒村は実に寂しい。住宅街では必ず犬が吠える。もう真っ暗になってきた。不思議なことに青マークとcamino の黄色が違う場所がある。新しく完成した大橋を渡るようにくっきりとした青マーク。camino道は大橋ができる前の古道。

スーパーから7kmの所に狙っている「Cafe」がある。EN1という立派な道に面した一軒だけのサロン。怪しげな店(Snack-Bar Espírioto Santo)が国道わきにひっそりと佇む。Maps.Meの地図には、ここにPonte Velha do Marnel(Old Bridge of Marnel)という古代の橋がありちょっとした公園で池となっている。国道はそのそばを通っている。

漆黒の闇夜では、かっこうの野営地である。野宿するためには、バッテリー充電の必要がある。アルコールを所望して店の外でつまみを食いながら日記を書く。2時間くらいその店で粘ったであろうか。女性と男性の二人だけしかいない店内はミラーボールが回り、ジャッズがかかっている。

闇夜にリュックを担いで立ち去る。Rio Vouga と Rio Marnel2つの川が同じようにS字カーブをなして平行に流れているので地図を読み違えやすい場所である。今夜は静かにcamino道となっている古い橋の上で寝よう。

場所は、Lamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)と、Pedaçães(ペダサンイス)の間。

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テントの上半分がライトに映し出される木々の陰。幻想的な一夜。20:00就寝。早っ!

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Map and Elevation Profile Between São João da Madeira and Serém de Cima(→Lamas do Vouga)
(
サン・ジョアン・ダ・マデイラからラーマス・ド・ヴォウガまでの地図と標高プロフィール)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/fbcca3581c375f3286a458eb55216946d1b90204.68.2.9.2.jpeg

https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/dd5b8dd0d9378da2ed0a34ffa6c4829a6faf8085.68.2.9.2.jpeg
この区の最高標高は236m

 


 

【58.10/15() Lamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)からMealhada(メアリャーダ)まで】+Memoirs66--11th day of Camino Portugués

今日のコースはSerém de Cima(セレン・デ・シーマ)の近傍Lamas do Vouga(ラーマス・ド・ヴォウガ)での野営地点からPedacáes(ペダサンイス)→Mourisca do Vouga(モウリスカ・ド・ヴォルガ)→Águedahj→Aguada(アゲダ)→Baixo(バイショ)→Avelas do Caminho(アヴェラス・ド・カミンホ)--Agui--Alpalháo--Arcos(アルコス)→Anadia(アナディア)→Aguim(アギン)→Alpalháoを経てMealhada(メアリャーダ)までの37km

ローマ時代の橋を思わせる古風な石の橋が、池の端から照らされるサーチライトでぼおっと浮かび上がっていた。橋の両側に柵がしてあるので絶対安心な場所であるが、夜半に雨が降り出した。

3:13 顔にしずくがポタリポタリと。耳栓をして寝ていたので気付かなかったが雨が降りだしたようだ。3:30益々激しくなり浸水しだした。大事なダウンの寝袋を濡らしてしまえば処置なしである。寝ている場合ではなく寝袋をサックの中に仕舞う。これが毎回手品の様に面白い。フカフカの寝袋。足元から先にサックに押し込んでいくのだ。不思議なことに山のように膨らみきっていた寝袋がどんどんサックの中に吸い込まれていく。最後はもう無理やり押し込みチャックを締める。アラジンの魔法のランプである。さらに圧縮ツールを被せこれも限度まで絞り混む。25cm x 15Φくらいの小さい筒状で完成。最初に寝袋を折り畳んでいては絶対に入らないのだ。これに更に完全防水のスタッフサックに入れて雨に備える。早めの朝食をとり5:05出発。

坂道を上がって国道を渡ったあともさらに坂を登りつめるとPedaçães(ペダサンイス)の町である。

人っ子一人表には出ていないためなにか寂しげ。9kmほど進むとAguada(アゲダ)の町に到着。

Aguada(アゲダのかまくら?)(7:14)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b01aa9474721cfe11f6a28b6ae0ea78a0a34919c.68.2.9.2.jpeg

この時刻が7:14である。普段なら出発の準備をしている段階ですでに9kmも歩いたことになる。Coimbra(コインブラ)まで距離を稼ぎたい向きには最高のタイミングである。元々のスケジュールでは本日分の16.7km point である。昨夜分と合わせよく距離を稼いだものだ。それでも今からMealhada(メアリャーダ)まで26km

 

Aguadaの「パンと菓子店」(Padaria e Pastelaria Almendria) 7:30-8:50とかなり長いことで粘ったものだ。バッテリーとスマホの充電、WiFi を接続しての交信、休養と栄養補給!

 

Rio Aguada(アゲダ川)(8:51)

https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/cc3add4db24a22065e3e87ac296a5ae7993ca9e0.68.2.9.2.jpeg

 

10:00 4750 をカウントしたところで大きなT字路。黄色も青もモホンも確認できない。丁度緊急事態。急な便意。食べ合わせが悪かった寝不足か。少し横になろう。レインコートを上下、昨日夕刻からスペイン・ポルトガルの旅では初めてタイツ+半ズボン(runパン)、長袖Tシャツとかなり着こんでいるので寒くはない。

10:20出発。なんと西側に行く方向にモホンが立っていた。反対側からは単に細いコンクリの杭にしか見えない。正方向に進むのは実に分かりやすく角かどにモホンがあるのである。誰かが言っていた。モホンを見ながら後退りするように歩けばよいと。

 

10:49 6836をカウントしたところでBar有り。晴れ間が出てきたのでレインコート、ザックカバーなど脱いだり外したりと。すこしコーク休憩。11:15 出発。今日はペースダウンか? 

 

11:46 10km。 23_03_013 Avelas de Cominho

 

新しく次のカウントを始めよう。

12:00 554をカウントしたところで幹線に出る。その角がちょうど教会。鋭角の三角形をなしベンチが2つ。昼食休憩にはもってこい。

どうもポルトガル、紅葉が今一つ。松やユーカリの常緑樹の木々が多く落葉樹が少ない。楓類は少し黄いばんだかと思えばすぐ風に吹かれて葉を落とす、桑の葉っぱを大きくしたような葉を持つ木々が、黄色く色が透けた葉を落としている。燃えるよう赤色を見ない。

最近は上記のように10kmのカウントで一区切りとし軽食休憩を取るようになった。いちいちMy Mapを見ないので効率がよい。南向きの一本道は分かり易いが休憩する場所が殆んど無いのが辛いところ。今回のように切りが良いところで休憩が取れれば申し分ない。13:00出発。ここから10kmカウントしてみよう 。

6627で矢印消える。Maps.Meで確認すると合っている。それにしても矢印が少なすぎる!

Igreja Paroquial de São Paio Arcos(アルコスのサンパイオ教会)

(sketched at 14:05 in angle of 45°)

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Anadia(アナディア)→(14:19)
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/d853fc3baf8bdf1f48ac7238ec2f08af048b9f07.68.2.9.2.jpeg
街路樹が少し紅葉してきた

 

14:42 7052カウントに大きな運動公園あり。このあたりRea Val de Azarの新興都市であろうか。土曜日であるが閑散とした運動公園前で少し昼寝。雲が出てきて風が吹き寒くなり始める。

Anadia Cineteatroという字幕の旗が4本。15:00出発。

3:37 10km。ニュージランドからのcamino 3人に会う。コインブラから今日出発したのだと。Anadiaのホテルに泊まるという。彼らから「フランス人か?」と聞かれた。巡礼で顔かたちが変わってしまったのかも知れない。

Aguim(16:19)
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美しい垣根

さてあと5kmとなった。BV(消防署)への訪問は初めての体験。消防署を宿に出来るのか疑問であったが、A.H.B.V. Mealhada (Rua Bernardino Felgueiras) を訪ねた。事情があって今は受け付けはやっていないのだと。そのかわりResidencial-Restaurante Hilárioを紹介される。

1.5kmcamino 道を戻る。途中ミニスーパーで買い出し。ここで気付いたのであるが正方向の黄色い矢印や15cm角のモホンのプレートも結構見ずらいのだ。青いマークに慣れてしまったのかも分からないが「道に迷う」ということが大いに起こりうる状況。やはり交差点が一番やばい。SCCoimbra 間は黄色と青色の両方で情報量を倍にして歩くべしと。

ディナーは子豚の丸焼きで超人気のレストランへ、Leitão á Barradaを食す。リッチな人達が正装をして続々と訪れる。コインブラから20kmしか離れていないので車で続々と来るようだ。食べなれないチーズによるアントレなどで大枚を取られた。camino とは別世界である。

Mealhada(メアリャーダ)の幹線EN1/IC2に出る場所は、なんとレストラン側が客の雨よけ用にと張り出した大きな天蓋の下を通り抜ける。道路に渡したドームのような天蓋である。こういう店が何軒も。街道を歩いて驚いた。レストランだらけである。 Residencial-Restaurante HilárioRestaurante Típico da BairradaFlor Da BairradaNelsonft Simões dos Leitões O Rei do Churrascoなどなど。すべて子豚の丸焼きLeitão(レイタオン)を看板メニューとする店。「子豚の丸焼き街道」と呼ばれる所以の町。昨晩使ったテントを洗い、諸物を洗濯して天蓋の下の専用物干しにぶら下げる。

夜の帳が降りる頃、レジデンシャルの向いにあったレストランRei dos Leitões へ。

な、なんと町の名士が全員揃ったような華やかさ。むさ苦しいcaminoなんて一人もいない。精一杯正装してきてよかった感じである。子豚の丸焼きを切り分ける専門の人が居て2人がかりでバリバリと挟みで小分けしていた。

Restaurant Rei dos Leitões (レイタオンノレストランにて)(20:11)
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上が支給された皿。下が取り皿。カリカリの皮の部分をまず食し、
その後ジューシーな肉を食べる。

Map and Elevation Profile Between Serém de Cima(→Lamas do Vouga) and Mealhada
(
ラーマス・ド・ヴォウガからメアリャーダまでの地図と標高プロフィール)
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この区の最高標高は83m

【59.10/16()Mealhada(メアリャーダ)からCoimbra(コインブラ)まで】+Memoirs67--12th day of Camino Portugués                              

今日のコースはMealhada(メアリャーダ)からMealhada→Lendiosa(レンディオザ)→Carqueijo(カルケイジョ)→Mala(マーラ)→Santa Lúzia(サンタ・ルジア)→Sargento Mor(サルジェント・モル)→Adóes→Cioga do Monte(シオガ・ド・モンテ)→Adémia(アデーミア)を経てCoimbra(コインブラ)までの26km

Residencial-Restaurante Hilárioはレジデンスを併設したレストランであった。ホテルに加え離れにアルベルゲを経営する。2段ベッド10個の一部屋が広場に面して建っていた。広場には天蓋が掛けてあり洗濯物が夜でも干せるところがよかった。テントのような大きい干し物もワイヤーに掛けることができた。

 

5:00起床。ホテルの中庭、トタンの大屋根の下にシーツ類がワイヤに沢山吊るされている。昨夜テントを洗って乾かしておいたものを取り入れ畳んだり外のそのスペースで朝食を取ったりしている。パラパラと音がし始めた。俄に激しくなってきた。外を見ると豪雨である。トタンを叩き付け大変な音を発しているのである。重装備で出掛けなくてはならないのであろうか。これも止み微かな雨のなかをコインブラに向けて出発。6:45 出発の時がきた。今日はCamino Portugués (ポルトガル人の道) 最期の行程。

町を抜け鉄道を跨いで大きなロータリーに出た。西に向かう道が感覚的に北に進んでいるような錯覚に襲われる。昨夜の子豚の丸焼きが方向感覚を失わせたのであろうか。9kmほど進んでMala(マーラ)の町に来る頃にはしっかり南に進んでいる感じが取り戻せた。

10kmのカウントを今日も続ける。8:17 5139歩でLendiosa

8:29 6200歩でMala

8:43 7157歩で森。銃声が聞こる。ガリシアでもそうであったように、日曜日に狩りを行う人達。犬を数匹カーゴに乗せ、車で森に向かうのだ。ホーホーと犬を呼ぶ声。仲間と共同で狩りを行う場面も多い。

日曜日の礼拝に行くのであろうか。隣村まで歩いていく女性2人とずっと一緒である。村に着いて矢印通りに進んでいるが、My Mapとは別な道であるようだ。国道を迂回して広大なユーカリ林の中を通らせるルートである。

Mala(マーラ近郊のユーカリ林)(9:11)
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ぬかるみの悪い道であったが林道で足にはすこぶる調子がよい。しかもユーカリ林で虫が少ない。国道に出てからはSpeedを上げる。生活道路を経ていよいよCoimbra(コインブラ)である。

9:16 8448で小休止。その前9:00頃自転車4台と会う。久しぶりに「SCかファティマか」という質問。実はこれには訳があった。このルート、幹線を避けるため大きく森を西に回すルートで小生のMy Mapルートには無いルートであった。矢印に沿った結果この道を進むことに。このようにルート図を見ないで歩く場合は注意が必要である。森を行きつ戻りつを繰り返している場合はひょっとしてSCへと言うこともあり得るのだ。少ししたらバイク人が大声で叫んでいる。ポルトガル語のため訳がわからず無視した形でそのまま南西方向に進んだ。しかし気になって叫ばれたときのpoint まで戻ってみた。何とそこに小さなファティマ行きの表札が東南方向を指して四辻に立っていた。なるほどヴァリアントルートだったのかも分からない。本来のcamino ルートに戻るための2.5kmの大切な標識だったわけだ。男性の叫びがなかったらもっと外れて歩いていたのかもしれない。camino友達が迷ったpointもこの辺りかも。

9:34 再出発。

9:53 10km。ここでカウントをresetし次の10kmに向けてそのまま森を進む。 ユーカリと泥んこ道の先に家屋が見えだした。一旦国道と合流するがすぐそれて生活道路へと導かれる。

10:26 2318 日曜の町に鐘がなり人が行き交う。小さな雑貨店がBarを構える。camino SCに向けて8人も離れて通りかかる。丁度朝方コインブラを出発した人達であろう。 ここはSargento MorMy Mapでは23_04_012 b地点。一旦カウントをreset、コインブラまで10kmと踏んだからだ。丁度教会のベンチ。最初の休憩+充電。自転車で通り掛かった男性が話し掛けてきた。後で教員と分かったが多言語を操り物凄いお喋り。「Obrigado 」と「ありがとう」が同じ意味で発音も似ていることに感動していた。この男性からコーヒーをご馳走になる。Barの人達と喋りまくる彼を置いて11:20 出発。

Adémia(運河の側道)(12:06)
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ポルトガルの聖地Fátima(ファティマ)に行く道がここからはっきりと分かれるようだ。

 

 

 

12:09 4153 6mくらいの運河のような小川に沿うポプラ並木の気持ちよい道を行く。川面に雨粒のような軌跡。夥しいアメンボウが小川を"歩いて"いる。見ると10cm漕いでは小川に流され同じ場所に留まっているようだ。面白い。

 

12:36 6km、余りの暑さに、レインコートと長袖を脱ぐ。

Caminhos de Fátima (ファティマへの道)(13:19)

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13:25 9km point
。コインブラ市内。運河が右手。北向にかなりな勢いで流れる。目の前を高架橋。鉄道と一般道路、camino 道と川を跨ぐ。

コインブラからファティマまでの道はcamino de Fátima という名前の道、看板が出ていた。

camino の矢印を無視し川沿いを1km進むことにする、駅前中心街へはこちらが早い。

900mstop。1枚スケッチ。13:51

今日まで何回もFátima(ファティマ)に行きますと強く言ってきたのであるが、Lisboa(リスボン)まで行く途中にそこにも足を延ばしてみよう。絵のように美しい海辺の村Nazare(ナザレ)に寄るのを止めなければならない。

 

さて14:08にはCoimbra(コインブラ)駅前に到着。

Station Coimbra(コインブラ駅)
(sketched at 14:05 in angle of 45°)
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丘の上は殆どが大学の施設。Topは、Biblioteca Joaninaや、Via Latinaがある。

 

14:10 Flôr de Coimbra 投宿。宿屋の夫婦これから食事らしい。廊下からいい匂い。30ユーロ現金払いのペンション。板張りの床はなかなか良い。

 

さて町に出て驚いた。黒いガウンを着た学生達で溢れているかと思いきや黄色、赤、仮装をした学生であふれかえっている。セメスターの始まりを"祝って"いるのだという。皆歌っている。野菜の蕪(かぶ)を逆さに持ちそれをかじらせてはキスをしている。かじり跡の多さがポイントだ。

学生達(15:44,16:21)
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手に手にコップを持ちお酒を飲んでいる。ビール缶やコーラの空き缶を幾つも足に結びつけ騒音を発しながら歩いている。スーパーの籠に酒などが一杯入れて押してパレードをしている。もっと真面目に勉強をしている姿を見たいものだ。歌は春学期の難しかった教科を愚痴っているようにも聞こえる。この場に教員はいない。いたら袋叩きに会うに決まっている、パレードの最後尾にゴミ回収車と掃除要員が多数控えホウキで掃除してぴかぴかの校庭に戻している。感動である。

 

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ガウンを羽織るのがここでは流儀。お祭りでも大半はガウン姿。  13世紀創立のこの大学は国立大学。12世紀創立のイタリア・ボローニア大学、フランス・パリ大学、英国・ケンブリッジ、オックスフォード大学、スペイン・サラマンカ大学などと肩を並べる。Coimbra は大学とともに発展し、大学が中心の町なのである。ジョアニナ図書館なども訪れたかったが。

Universidade de Coimbra(コインブラ大学構内で)(sketched at 16:41 in angle of 293°)
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Sé Velha from Café Oásis(Old Cathedral )(sketched at 17:51 in angle of 90°)
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聖堂の前にあるcafe店内からスケッチ。

 

コインブラ街角(18:04)
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Map and Elevation Profile Between Mealhada and Coimbra.
(
メアリャーダからコインブラまでの地図と標高プロフィール)
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この区の最高標高は144m

【60.10/17() Coimbra(コインブラ)からLisboa(リスボン)まで】+Memoirs68

今日のコースはCoimbra(コインブラ)からFátima(ファティマ)を経由してLisboa(リスボン)までの213kmのバスの旅。

深夜まで学生達が闊歩していた町は朝方には平常に戻り、都心部は通勤の車などで混雑が始まろうとしていた。

Coimbra(深夜のコインブラ)(00:13)
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ポーランドにおけるチェンスホーバと同じようにポルトガルにも聖母信仰の聖地 Fátimaファティマがある。旅で初めて知った。

Coimbraから南 Lisboaまで巡礼歩行は今回は時間の都合でcutMy Mapは出来ているのでそれを見ると真南のTomareを通りTejo川に沿って東側からLisboa に入る。 FátimaTomare から僅かに10kmくらい西に位置するだけなのに通っていないのだ。ツーリズモではコインブラから独自の青いマークが始まると言った。「camino de Fátima 」の道。これを今回は96kmのバスの旅とする。西海岸の絶景Nazaréを訪ねてからLisboaに入る予定であったが道中何回も「 Fátimaへ」と応えてきた手前行かざるを得ない。昨日 宿屋の夫婦が衣服を全部洗濯してくれ干しておいてくれたのも"Fátima"が効いたのかも知れない。

宿を8:03出発。外は雨、気温17℃と暖かい。町外れのバスターミナルから9:00発のLisboa 行きExpress Fátimaへ。10:00到着。

聖堂大講堂10:22 リュック姿は僕一人。コンチャ(帆立て貝)の写真を撮りたいと後ろ姿を撮られる。リュック背面に付けた貝は大船渡から送られてきた貝をはまだ安泰である。

 

スケッチをしようと思ったのにペットボトルがない。バスからリュックを取り出す時に落としたのかも知れない。そこに現れたのがカール(Cal)。救世主のような存在だ。21歳のバッグパッカー。広い会場にリュック人が2人になった。ポルトから町々を格安のlocal バスで巡っているという。

南仏に住み世界を観て見聞を広めたいと言う。このあと14:00少し前のバス(5ユーロ)Nazaréに行くのだという。海浜にある赤い屋根群の旧市街!今回はパスした場所なので写真を撮ったら送ってくれるように御願い。水をもらいスケッチに取りかかる。

 

800mx300mといった広大な敷地に大聖堂、講堂、礼拝堂、教務、広場などすべての施設が集まっている。黒いマリアを祀るポーランドのチェンストホーバーのヤスナグラはこの5倍くらいの面積があり100万人規模が集まれるが、ここも数万人が、毎月同じ日に集まっているようである。5月から10月の半年間に限定される。

全ては、お告げによるものとされ、ローマ法王庁が認定した場所である。われわれはコメントを控えなければならないのである。奇跡なのだから。

Fátima(ファティマ)
(sketched at 11:10 in angle of 37°)
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Fátima(ファティマでの祈り)(11:36)
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祭壇がある集会場のような建物を膝をついて周回している人たちがいた。

 

     Fátima(ファティマ)
(sketched at 11:48 in angle of 90°)
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Fátima(ファティマ大聖堂)(11:52)
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補足 ファティマの奇跡
1917513日にそれは起こった。羊飼いの少女ルシア、フランシス、ヤシンタの3人の前に聖母マリアが現れお告げを述べたのだという。それが6回も。1013日までの毎月13日に。

最後の時に、7万人の人がそれを目撃した。半径40kmの範囲でもその反映する光が確認されたのだという。こういう超常現象はUFOそのものかもしれない。

新聞記者も目撃しているため全世界に報道されたようである。驚くべきことにそのお告げは聖書の一文を告げたのだという。また第二次世界大戦を予言し、第三次世界大戦(核戦争)も予言したものだという。しかしこの三番目のお告げはあまりにも恐ろしいので現在ローマ法王庁に秘密裏に保管されているのだという。いったいこんな奇跡があるのであろうか。UFOが神の世界から来た以外に考えられない。

超常現象をどう理解したらよいのであろうか。事件ともいうべきその日の出来事である。ファティマでは今も5月から10月の各月の13日に人が集まってくる。まさに奇跡の場所へ。小生はその現場に立ち尽くし、神のオーラーを感じないではいられなかった。長旅の無時をお祈りして後にした。

注釈:日本にも奇跡を起こした場所がある。「秋田の聖母マリア」である。マリア像が涙を流したのだという。101回も。この「1」「0」「1」に意味があるのだと。ただローマ法王が認知していないのでファティマのようにはなっていないが、世界中から巡礼者が訪れている。バルセロナから西北に1時間ほど。突如現れる岩山が「Montserrat(モンセラート)」。黒いマリア像が数々の奇跡をおこなうという。

このモンセラートも、サン・ティアゴ・デ・コポステラ同様スペイン2大 巡礼地の一つとなっている。

ガウディはこの岩山にインスピレーションを得て、サグラダ・ファミリアの設計をスタートさせた。

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青年が克明な日記を書いている時間を利用してスタンプを貰ったり2枚目のスケッチをしたりと手ぶらで歩き回ることができた。彼の日記にもスケッチを所望されたり青年との邂逅を楽しんだ。将来四国巡礼に来るかもしれない。

14:21 21分遅れのexpessLisboa へ。座席は54指定席であった。12ユーロ。

 

Lisboaバスターミナルは市の北側に位置しホテルのあるMarque de Pombalまでは直線で2.5km。東南に進めばよい。公園で繋がっている。Maps.meにはその公園に薄いピンクの線が縫っている。ジョギング+バイク道である。まあ恵まれた環境である、こちらもcamino 道のように土道を楽しみながら歩いていく。ローマ時代の水道橋(Alto da Serafina)が眺望される。Sãn Sebastiãnの最上段Jardim Amália Rodriguen公園にいきなり出てしまった。ここから岸壁まで坂道が始まり市内が一望できる。

"この景色頂戴"と叫びたくなった

View from Miradouro do Parque Eduardo 7 Lisboa

エドゥアルド7世公園からの眺望 リスボン)(16:47)
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Miradouro do Parque Eduardo 7 Lisboa

(エドゥアルド7世公園 リスボン)(16:52)
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Marquês de Pombal
 Lisboa(マルケス・デ・ポンバル広場 リスボン)
(sketched at 17:26
 in angle of 280°)
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下部のParque Eduardo7世、Praça Marques de Pombal の銅像へと高度を下げていく。さらがら市内観光である。銅像周辺を大画面で描く。ホテルに入ってしまったらスケッチまでの間にとっぷりと日がくれてしまう。少しのタイムも無駄に出来ない瞬間である。この地点が地下鉄の入り口であった。

ホテルといっても"レジデンス"という部類で、トイレ・シャワーは共通、キッチンなど完備した住居風の造りで部屋は個室。

 



Map and Elevation Profile Between Mealhada and Coimbra.
(
コインブラからリスボンまでの地図)
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【61.10/18()LisboaからPortimão(ポルティマン)まで】+Memoir68

今日のコースはLisboa(リスボン)からPortimão(ポルティマン)までの282kmのバスの旅。
Lisboa(
リスボン)発が12:00なので、許される限り リスボンを観光したい。このため朝から駆け足。地下鉄お城港湾ホテルに戻り昼食バスターミナルへ地下鉄。

 

5:30起床。Tagus Royal Residenceのホテルは共同のキッチンが各階に2室ずつついている。ちょうど部屋の前がキッチンで朝から料理にいそしむ。ベーコンに目玉焼きという簡単なものであるがこれが結構パンに合う。豆の煮込み缶詰の半分を温めトースターの横に置いてあった食パンを2枚ほど頂戴してトースト。因みに冷蔵庫上部に保存されているもは余ったものなので自由に使ってよいという法則(?)があるらしい。オリーブオイルやバターなどがそれだ。アルベルゲでも適用される。自分で必要とするのは下段に置いたほうがよい。

subway of Listboa(7:41)
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車は右側通行なのに、地下鉄は左側通行で日本と同じ。
南に下るときは右側のホームで電車を待つ。

 

地下鉄で Marques de PombalからChiadoまで降りる。目指すはCastelo de São Jorge(サンジョルジュ城) 9:00open(8ユーロ)

     Arco do Castelo Lisboa(リスボン)(sketched at 8:27 in angle of 210°)
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Av.da Liberdade ,overlooking th lower bound from the castle edge(9:10)
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遠くの緑の部分がリベルダーデ通り

 

 

Miradouro do Castelo de São Jorge Lisboa(リスボン)(sketched at 9:27 in angle of 100°)
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城の中庭では孔雀が飼われていた。美しい芝の斜面。

古城の上から市内を見下ろすことができる。絶景。ニースの古城からの景色に似ていて面白い。10:30迄にはホテルに戻りたい。市電が上がってくる路地を目指して坂道をおりる。Maps.Meとコンパスが無ければ迷路の丘は無理であったろう。しかし電源がどんどんなくなり7%で薄暗くなり反応せず。ここまで減るとは予想だにせず。

Tram of Lisboa(9:40)
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なかなか趣のある路面電車である

メトロ駅 Terreiro do Paçoはおよそ見当がついている。大型客船などが停泊している波止場に近い。往復切符を買ってあるがまさか同じ駅を利用しなければならないということは有るまい。改札口にカードをかざし入ろうとした。ゲートは開いてくれない。突破しようとも考えたが切符売り場で聞いてみよう。な、なんとその改札口はボート用だという。地下鉄は反対側の階段を降りた所だと言う。突破していたら対岸に渡るボートに乗っていたことになる。明るい桟橋に降りていくスロープがあったので引き寄せられたのだ。地下鉄はArco da Rua Augustaに向かった地下にあった。

車がkeep rightで動いているというのに、鉄道、地下鉄はkeep leftで動く。日本と同じだ。

ホームの右から車輌が来るのだ。慌てているとき逆に乗ってしまったのはフランスボルドーのトラム。

ホテルに帰り、昼御飯の仕度。このあたり観光を二の次にしてしまっているのは体力勝負がまだ続くからである。チェックアウト11:30の時間は既に確認済み。キッチンが使えるのでさんま缶詰、ベーコンなどをフライ、豆の煮込みを暖め、トーストにパン、バナナ、ゆで玉子と腹を満腹状態にしてからチェックアウト。11:00ホテルを出る。 Marques de Pombal駅までは徒歩300mと便利。Reboleira行きのメトロでJardim Zoológicalへ。Sete Rios地区にあるAuto Busターミナルへ。11:30着。早すぎた。

12:30 Lagos行きのバスを待つ。

さすが首都のバスターミナルである。飛行場のような電工掲示板で発着時刻が表示される。92番のLago行きバスでPortimaoに向かう、3時間半の旅。ほぼ満員のバス 。

南国の気候そのもののPortimão(ポルティマン)15:45に到着。24℃の暑さ。南国である。268軒もホテルがある観光地。港に面したバス停からホテルへ直行。どんな町でも、バスを降りれば迷わずにさっと動ける自身はあるのだ。これらはMaps.Meによる現在位置確認とMyMapに書き入れたホテルの場所が入った地図のおかげ。

ホテルには狭い路地を縫うように行き人通りの多い中心街の角。このホテルのシステムは、カードを差し込むと室内の電気が点灯する仕掛けである。しかしこれで困るのは、バッテリーのチャージ。部屋を出ていくとカードを抜かなければならないため充電ができないのだ。そこでフロンにお願いしてチャージをしてもらい、スケッチ外出。

3km西にビーチ、南一直線が海岸、大きな潟を跨ぐ橋、ヨットハーバー・・・、ものすごい観光客。皆半袖、サングラス。アフリカに近いのか熱風。

 

16:45 甘いお菓子を食べながらビールをのむ。ついでに街角をスケッチ。

Portimão(ポルティマン)(sketched at 17:19 in angle of 180°)
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Rua do Camacioを通り、車が通らない散歩道に沢山のブティックやPastelaria(菓子屋)。自然の景色の場合は8Bの柔らかい鉛筆でダイナミックに濃淡を付けて描くのだが街角のような複雑な線がある風景は最近は2Bのプッシュタイプの鉛筆で描く。角度を決めるときなど鉛筆の長い柄が役立つ。薄い線のみではメリハリがないのでそこを部分的に8Bで補う。これにごく薄い彩色。壁の色にクリーム色が多いのでこれを三原色から作る方法が難しいのであるが、ごくごく微量の色を調合していくのだ。筆先の0.5mmが勝負。マジックのようにあらゆる壁色が出現する。street performanceよろし一人芝居を楽しんでいる。

南国に来たのか日没が遅くなった感じ。スーパーで買い物をし終わった17:56 でも、まだ太陽は260度の方向に7度の仰角で輝いている。たっぷり夕刻を楽しむことができる。スーパーのレシートを何気に眺めているとバナナやピーマン、卵といった素材と鰯の缶詰は6%tax、ベーコンや豆を煮た缶詰は23%tax。日本でも税率のすみわけでややこしいことになろう。こちらは特に気にしていないように見える。

鰯雲が空に浮かんでいる。こちらはいくらか観てもtaxゼロだ。

ジブラルタルまでの最終歩行が明日18()から始まる。

 

夕食を安い郷土料理の店O Mata Porcosで、Sopa Massinha Peixe(cray fish --ザリガニ! or --伊勢海老!)食す。



Map and Elevation Profile Between Lisboa and Portimão
(
リスボンからポルティマンまでの地図)
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【62.10/19()Portimão(ポルティマン)からGuia(ギーア)まで】

今日のコースはPortimão(ポルティマン)からCalvário--Estombar(エストンバル)--Lagoa(ラゴア)--Bempestra--Porshes(ポルシェス)を経てGuia(ギーア)までの28km

 

5:30 起床 日記の整理など 7:30朝食 8:15 出発、

北向きにまず進路をとりR.Infante Dom Henrique(インファンテ・ドン・エンヒーケ通り)に出たあとは、Rio Arade(アラデ川)に渡した大きな橋に向かって真っすぐ進むだけだ。

橋までの近道もあったが見通しが悪く迷路のようだったので敢えて遠回りをする。しかし200m平方の小さなエリアであったためそこに行くべきであったと反省。そのように思案するとかえって遠く感じるものだ。

Portimão→Parcal(ポルティマンパルシャル)(8:28)
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Portimão(ポルティマンを振り返る)(8:33)
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さて橋を渡ってParcal(パルシャル)の町に入る。生活道路らしくたくさんの家が軒を連ねbarなども随所にある。人も行き交う。N125に合流すべく右折するとEstômbar(エストンバル)の町が見えてくる。いわゆる「白い村」の出現である。ここではまだ屋根が付いており真っ白ではないが。

建物の輪郭は、建物が重なった部分に存在する日陰の部分の灰色だけであとは白一色の村である。

Estômbar(エストンバル)(9:29)
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9:30 Estombaを通過。

10:06 N125へ合流point 。国道の交通量に少し躊躇。ラウンドアバウトを見ていると実にスムーズに行き交っている。信号待ちのロスはゼロ。回転のわっかを回っている車が優先。ただそれだけである。

空いていれば入ればよく好きな進行方向へ曲がっていけばよいだけ。一生わっかの中を回り続けていても誰も文句は言わない。充分なスペースがあれば有効である。ただこれが慣れていないと"戸惑い"がありスムーズにはいかないであろう。

国道に入る手前で休んでいたがどうもやばそうである。見たところ歩道部分が無いようにも見える。尻ごみを余儀なくされる。さすれば一旦町の中に入り迂回しようかと。勇気を出して国道部分のロータリーへ進み出た。車線変更部分はさすがに歩道がないのであるが、住宅が国道に面して建っている限りはそこに住む人の利便性を考えて歩道が必ず存在するものである。接近してみて初めて認知した。なんと1.5m幅の歩道があり白線が引いてあった。これで大手を振って国道を歩ける!

10:30出発、

11:00 25_02_005 c point

余りの暑さでタイツを脱ぎrunパンにスタイルに戻る。これで完全camino スタイル。あと3km国道をいくと町中の道にmassugu入れる筈。11:15出発、

11:48 Porshes の手前200mで町並みをスケッチ。休憩、

Porshes(ポルシェス)(sketched at 12:13 in angle of 90°)

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白い町の輪郭は陰影のみとなり難しい。

Porches(ポルシェス)の町の先から柑橘類栽培畑など広大な山地が始まり、縦横に張りめぐらされた道を東にとっていく。この先で道に迷う。

 

Porches(ポルシェス)(12:41)
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巡礼路のような佇まい

道なりにカーブを描きつついなか道を来たのにコースから外れている。しかもコース上に戻ってもそこには道がない。Google Mapから作成した最短コースにまた誤りがあるようである。荒野にところどころ白亜の民家が点在し道は1km単位に網目のように入り込んだ場所である。大回りしてその先のpoint まで進む。My Mapで今確認したところどうもベースにしていたGoogle Mapに問題があった。地図の道路の部分が薄すぎて分かりずらいのである。道路に色を塗っている場合はよいが一般道路では二重線のみであり、細い道も太い道も変化なく一様な線となっている。車道であっても、歩道のみの場合であっても同じ。これでは5差路などのとき、山道のような細い道へは進めなくなってしまう。

立派な自動車道のほうに地図通りに進んでしまいかなりの遠回りに!

犬がふらふら出て来て吠えまくる。灰色の矢印!はMaps.Meがちゃんと動いていない証拠。スマホを再起動。その間東向の支線なら間違いがないと信じどんどん行く。ここでフェンスに囲まれた施設に道を阻まれる。しかしその向こうに国道の音。漸く生還できたのかも。フェンスの先はキャンプ場であった。これなら覚えている。My Map 25_02_007 bpoint である。14:08 最初の休憩かつ昼食休憩。14:45 出発。キャンプ場という格好のランドマークを発見してMy Mapとの整合性がやっと取れた。

 

今夜のホテルはQueens Villa。各戸にプールが付くという超豪華レジデンス。当然全員車でのアクセスである。少々高くついたがテント泊が続くためやむを得ず。ところが門が閉まっている。ベルや貼り紙が一切無いのだ。通りかかった人に助けを求める、同じ名前のレストランが国道にあるのでそこに聞いて見たらという。レストランに行ったがそこも閉まっている。電話番号があったので連絡を取る。5分ほど待てという。安い方のレジデンスはレストランに繋がる建物でプールも共用である。22℃なので泳げるという。部屋の内装は見たことがないほど豪華。シャワーなど上から144個の穴からお湯がほとばしる。滝のように打たれて我を忘れる。全館独り占めのように誰もいない。プールでひと泳ぎ。

Queens Villa of Guia(ギーアのホテル)(17:12)


国道を東に500m行けばショッピングセンターがあるという。巨大スーパーは歩いて行くようには作られていない。資材、スポーツ、家具などブロックに別れた巨大な敷地。警備員に教えてもらいやっと食材+日用雑貨のスーパーに辿り着く。電池、バンドエード、歯ブラシ、サラミ、バナナ、オレンジ、缶詰と。なん万種類と食材が並ぶ。ワイン売り場なんて100m規模で並んでいる。驚きで開いた口が塞がらない。20:00を過ぎての買い物だったために稼働しているレジ台が少なく、長蛇の列。日本にもあるセルフのレジがあったのでそこを利用。バンクカードがないと使えないレジ台であったが、なぜかガラ空き。3分で完了。ナッツ類や朝食用フルーツミックスなど買ったために少々高額。13ユーロだった。不夜城のようなスーパーを出て国道を戻る。ビュンビュンと車が通る道のガードレールの外にある側道をヘッドライトを点けながら戻る。



Algarve Shopping(アルガルベのshopping モール)(20:01)
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広大な売り場に多種多様の食品が並ぶ。これほど大きなスーパーを初めてみた。
夕方のレジは全て長蛇の列。ただしセルフレジはがらすき。銀行カードが条件。
これで助かった。

 

Map and Elevation Profile Between Portimão and Guia
(
ポルティマンからギーアまでの地図)
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【63.10/20()Guia(ギーア)からLoulé(ローレ)まで】+Memoirs71

今日のコースはGuia(ギーア)からGralheira--Pedragosa --Torres de Apra(トレス・デ・アプラ)--Fonte da Murta(フンテ・ダ・ムルタ)--Vilarinhos(ヴィラリーニョス)--São Brás de Alportel(サン・ブラース・デ・アルポルテル)--Santa Catarina da Fonte do BPP.(サンタ・カタリナ・ダ・フンテ・ド・ビスポ)を経てLoulé(ローレ)(テント)までの34km

 

Guia の静まり返った宿。一人だけ停泊した館、灰色と黒で塗り分けられた全ての調度品、ステンレス器具が光るシャワールーム、繊細なデザインのトイレ。テラスに置かれたテーブル。

そこを5:00起床。昨日泳いだ時に使った海パンが乾いていない。所作を1つ忘れたのだ。すなわちタオル類がふんだんにある場合はそれらに包みプレスしておくと乾きが早い。プレスは足踏み。これで洗濯機の脱水レベルになるのだ。手で絞ってもここまでは絞りきれない。今回の旅で会得した技術。これ結構使える。どんなに到着が遅くても朝方には乾いているのだ。これをし忘れた!

Guia(ギーア)のホテルQueens Villaは一人だけの泊り客。広場を出てから遠くに見える鉄の扉へ赤外線を飛ばす。静かに門が開き始める。鍵は郵便受けに放り込んでおく。要するに非可逆の通行は最新の注意。忘れ物など絶対にできないのだ。荷物総てに念力の電波をとばし会話をするー荷物が呼んでいるかーと。貴重品などもいれてすべてからokの反応。前進!

昨日の巨大モールを右に見ながら東方向へ。

さて国道を3km行ったところで恐ろしげなジャンクション。歩行者の事は一切考えていない。自動車専用ジャンクションとなってまっている。しかも2重、3重の立体交差。ここは事前に調べてはあるのだが実際通り危ない場所。このまま国道を進めないこともないが国道はFerreiras の町を大きく迂回するような造りとなっていて長い。ここはジャンクションを迂回し町中央を通る2.5kmほどの"歩行迂回路"を取ることにしよう。8:29 もうこの時間となればBarやパン屋はopenしているだろう。町の中央四辻に集まる車の疾走が見えだした。そこに行くまでに一人の老婦人と会った。「ボンディア」と挨拶。向こうはボンディー-アと応える。ひと呼吸長い。しかもディーアに思いがこもっている。大切な人生の一日。晴れた朝が嬉しいとも聞こえる。四辻にはCafa-Barがそれぞれの角に一店づつ。出来立てのクロワッサンにカフェコンレチェ。少量のエスプレッソに大量のミルクを入れるという能率のよい作り方でガラスコップに入れてくれる。殆どの客は小さいカップにエスプレッソだ。--8:53

9:55 国道と側道の合流点から2930歩数。 9:53 みかん畑が広がる、取れたてのみかんを袋に詰め家の前と、向いには露天を出して商売している。日焼けした婦人が店番。そこは町の名前Xで消されている場所。町の境界だったわけだ。

10:37 2328歩。25_03_003 cpoint 360m手前。

軽食休憩。ユーカリが無くなった地域ではハエが多く追い払うのに帽子が必須アイテム。蠅との闘いが始まる。--11:20

ややこしい5差路(25_03_004 a)。コンパス頼りに何でもない市道に入っていく。とどの詰まり貧民窟のような一角へ。My Mapではプレハブの建物の間に張った洗濯物をかいくぐり突き当たりを左に曲がれば良いのであるが勇気は無い。犬までがうろつき阻止しようという気配。ここは土足で踏み込んでは行けないエリアなのだろう。少し遠回りをしてみた。さっきの道の出口と思しきpointに合流したが行かなくてよかった。人一人がやっと通れるそま道が壁の間にひっそりとあったからだ。後は順調。

12:29 25_03_004 c から218歩。ザクロが沢山なっている。1つ失敬。甘く美味しい。よい水分補給。近くは柑橘類のお山が続く。びっしりとは植わっていない。土の部分が多く見える。

 


(みかん)(10:01)
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(ざくろ)(12:15)
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日陰は少なく暑いのでrunパンにTシャツというcaminoスタイル。

土道となった広い道はジープで疾走すれば気持ちが良かろう。

 

12:55 高速下の日影でマット休憩を決め込もうと思ったがトラックなどが飛ばしたまま突っ込んでくる。余りにも危険である。こんないなか道だからこそ飛ばすのであろう。その道を外れれば誰も来ない。かんかん照りで暑いが灌木の日陰がよさそう。ついでにスケッチ。

plateau of citrus(sketched at 13:26 in angle of 90°)
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柑橘類の高原。暑い! へばってしまって木陰で休憩。左の道を行く。

 

()(14:15)
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25_03_005 bpoint 14:07出発、まだ15kmもいなか道。柑橘類の丘がどこまでも続く。素晴らしい!

 

15:34 小綺麗な高原の町Loulé(ローレ)へ上がってい。町の入り口の反対側に真新しいスーパーあり。テント予定なので食材と一緒に水2Lも仕入れる。まだ設営予定場所まで5kmあるが重たくても水はgetしなくては。店の外で2Lボトルに1.5Lを詰め、リュック外側のペットボトルに500mLをつめる。買ったばかりの店のペットボトルは捨てていく。どうしてこんなややこしいことをするのかと言うとリュックに収まる形状を優先するからである。

15:40 買い物 16:22出発、13-14kgか。そうは重くない。ビールとパン、バナナ4本積んでいる。このリュックを担いでいる時だ。バキッと音がしたのだ。数日あとでわかったことであるがそれ以来リュックの形が崩れてしまったようだ。要するに背骨のアルミフレーが底の部分で破断しリュックの形状を維持できなくなって重心が下に移動し、寝てしまった体重のある子どもを担いでいるような形になりものすごく重くなったのである。

 

バッテリーへのチャージは必須アイテムなのでテント場所を見つける迄にはBarなどで2時間ほど粘らなければならない。17:25

25_03_008 bから250mBar-レストランあり18:00などという夕食には早過ぎる時刻ではメニューも限定される。何が食べたいかではなく何が出来るのかを先ず尋ねなければならない。昼の残りなどあれば温めて貰うだけでokである。 18:30まで粘る。店の人は客とカードゲームをやっている。

まだ3kmほど東に向かって歩こうとしていた時だ。しかし出発して僅か15分で素敵な野営地を発見。丘に上がりきるとまずまずの平坦地。マットを敷いて寝転ぶ。灌木の影。日没を待って見よう。

 

Loulé(ローレの夕焼け)(18:33)
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MapBetween Guia and Loulé
(
ギーアからローレまでの地図)
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【64.10/21()Loulé(ローレ)からTavira(タビラ)まで】+Memoirs72

今日のコースはLoulé(ローレ)(テント)からGralheira--Pedragosa --Torres de Apra(トレス・デ・アプラ)--Fonte da Murta(フンテ・ダ・ムルタ)--Vilarinhos(ヴィラリーニョス)--São Brás de Alportel(サン・ブラース・デ・アルポルテル)--Santa Catarina da Fonte do BPP.(サンタ・カタリナ・ダ・フンテ・ド・ビスポ)を経てTavira(タビラ)までの30km

 

3:30 起床、半月、星も輝き綺麗な夜空 眼下20mの街道を行く車は僅か。目の前の丘の上に建つ住宅群のオレンジ色の明かりの列と少し遠くの西の丘のローレの町の光だけ。それ以外は暗く月光のみの光。おぼろげ。5:30出発。

そっと、丘を降りて灌木の間の抜け道から道路に降り立つ。ここまでくれば普通の通行人である。どこか遠くから夜通し歩いてきた旅人という感じに皆がみるであろう。

車は少ない。東に向かって進んでいくのでしだいに明るくなって来る。道の先端が地平線である。10kmほど南にFaro空港があるため機影も確認できる。またParque Natural Ria Formosa(リーア・フォルモーザ自然公園)があり時間の余裕があれば寄ってみたい所である。

6:58 25_04_001 c point 本日分行程の4.9km point

7:34 25_04_002 b point São Bras de Alportelの町の入り口。四辻のロータリー。少し休憩。

そのまま東に780m行ったら中心街の四辻でBarを期待したいが今は朝焼けの空が美しい時間。

Maps.Meを見るとViewPointの地点が分かった。恐らく南向きに絶景で、その東側から太陽が上がるのであろう。一気に忙しくなってきた。そのPointまでダッシュ。1,2分の誤差で朝日が昇ってしまうからだ。

朝焼け(7:40)

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São Brás de Alportel
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サン・ブラース・デ・アルポルテルの日の出)(7:56)
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ちょうど教会(Igreja Paroquial De São Brás De Alportel:サン・ブラース・デ・アルポルテの小教区教会)があり、そのテラスが絶景スポットであった。女性が広い庭に散り敷いた木の葉を集めていた。7:56日の出、8:00を告げる教会の鐘が耳元で響く。北向に200mほど戻ろう。Cafeがあるかどうか勝負。わぁ広場に面し5軒も!

日が当たる店の一角に腰を掛けカフェコンレチェを啜り甘いパンを食べる。犬が2匹寄り添ってくる。

犬は、この四辻の主のような存在。

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入ろうとしたおばさんに叱られている「あなたたちはそこじゃなんでしょ。」と。菓子パンでも「このパンください」と日本語で通じるところが面白い。修道院の老夫婦にも「シャボンが欲しいんですが」と日本語で言ったらちゃんと持って来てくれた。「ピンからキリ」までのピンは小さいことを意味しキリはその逆だ。、テンプラ、ブランコ、ビスケット、カボチャなどポルトガル語が随分日本語になっているのだ。宣教師、鉄砲伝来と古くからポルトガルとは縁が深いのである。もっと仲よく学びあっても良いのではなかろうか。日本語でどこまで通じるか勝負!さて長居をしてしまった。

8:47 旅を続けよう。

 

10:09 2mの誤差でpoint 25_04_004 b地点に到達。Google Mapもよくやってくれるものだ。地元のひとでも絶対に通らない細い土道を最短コースとして僕に提供してくれた。合計約2kmの土道。Maps.Meだと点線になる山岳道路。でもGoogle Map は違う。立派な二本線なのだ。点線表記という文化がないらしい。最後なんか犬が吠え狂うように絶対人が通らない灌木で塞がれたよう土道。

コンパス上は正しいそう。勇気を出して突進。はてさて次第に農道のようになり地元の幹線に合流。測歩の誤差は2mと、My Mapが恐ろしく正確だ。水補給。

10:22 再出発。

856 カウントで時計を見たら10:47もう5時間も歩いている。カフェ休憩を除いて。 靴が悲鳴をあげている。オリーブ、無花果、カリン、その他柑橘類の畑の開いたスペースにマットを広げる。
25_04_004 d point
手前 230m

12:00 出発もバッテリーが35%と充分ではない。920m進んだ所が Santa Catarina da Fonte do BPP.(サンタ・カタリナ・ダ・フンテ・ド・ビスポ)の中心街。12:22 Barによりコーク休憩+バッテリー充電。

Taviraまで10.7kmBar

Santa Catarina da Fonte do BPP.

(サンタ・カタリナ・ダ・フンテ・ド・ビスポ)(13:25)

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14:46 Tavira 4km 高速下をくぐりロータリーを越え60歩で空き地に寝転ぶ。ザクロをどう食べるか思案。バッテリー充電。

15:05 出発。ザクロは自然に割れるまで待つのかインターネットで調べてからにしよう。昨日スーパーで買ったのだ。

15:37 Tavira 市の看板。感涙。

Praça da República にあるホテルTavira Formosa Guest Houseへは古城を経由していく方が早い。迷路のような旧市街はすべて石畳。My Mapの表示を目一杯拡大してコンパス片手にずんずん進む。お城の隅で絵を描いている婦人あり。覗くと目の前にある大きな木と背景の家屋群。キャンパスとパレットを抱くようにしてこじんまりと油絵を仕上げていた。少し会話。城壁からの景色も面白い。

Tavira(タビラ)(sketched at 16:13 in angle of 34°)
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この絵を描いた後方には先客がおられ熱心に風景画を油絵で仕上げていた。
許しを乞い、古城の端から下を見下ろす位置から町を切り取る。木の赤い粒々はザクロである。

 

見ると沢山ザクロが成っている。この辺りの特産であろう。城を降りて行く階段はトンネル。史跡発掘中の様子を見せていた。最下段に教会Igreja da Misericórdiaがあり中を拝む。貰ったパンフ。な、なんとポルトガル東部の巡礼ルートの基点の教会。ここからもSCを目指すルートがあったのだ。

"O Camino do Este de Portugal"・・TaviraCacela Velha-Castro MarimAlcoutimSerpaSeixo—BordaNisaBelmonte

17:00 ホテル到着。広場は観光客で溢れている。川を渡す旧い橋も趣がある。レストランが張りだした沢山の椅子やテーブルの隅を進むと小さな玄関。ゲストハウスはちょうどその2nd floor。カジカの絵を描いた鍵が2つ。1つはシャワー室、大きい方が部屋の鍵。個室ではあるが其々のトイレ・シャワーは別という面白い造り。キッチンも完備されている。水回りを一か所に纏めるという内装になっているのであろう。

広場に面したホテル(Formosa Guest House)に投宿。雨が相当降ってきた。

Praça da Repúblíca(レプブリカ広場)(16:50)
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町歩き用のサンダルの底がツルツルとなっているので石畳の上は滑りやすく注意が必要である。さっそく夕食と明日からの行動食などを山ほど買った。

Loulé(ローレ)のスーパーで買った柘榴が昨日からリュックに入れてあり重たい。パカッと割れるまで待っていようと思ったが一向に開く気配がない。意を決してナイフを入れてみた。何千という赤い粒に白い鞘。これをがぶりと食べてみる。白い鞘の部分は苦く、ルビー色に輝く透明な粒の部分は甘い。鞘を食べたくないのでスプーンで粒を掻き出し皿に盛ったあとその山に顔をつけかぶりつく。悪戦苦闘しながら全部を食べ終わった。

感想は・・あぁ柘榴というのは食べるの物ではなく絵を描く対象以外の何物でもないのでは。ジャン・ジャンセンの絵のように「静物」として。

 

こういうザクロの絵が描きたいものだ。

Jean Jansem(ジャン・ジャンセン)の「ざくろのある静物」の写真https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/abb8797cac245259b36726d372f92c7547808f01.68.2.9.2.jpeg

 

netで調べると健康増進にはうれしい果物である。この旅ではスーパーで買ってはこれと格闘する日々が続いた。

 

MapBetween Loulé and Tavira
(
ローレからタビラまでの地図)
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【65.10/22()Tavira(タビラ)から(Spain)Ayamonte経由Monterreina(モンテレイナ)まで】+Memoirs73

 

今日のコースはTavira(タビラ)からManta Rota(マンタ・ロッタ)--Bornacha--Vila Nova de Cacela--Altura(アルトゥーラ)--Vila Real de Santo António(ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ)--(Spain)Ayamonte(アヤモンテ)を経てMonterreina(モンテレイナ)(テント)までの37km

 

あぁやばい事態に。貧乏旅もいいとこだ!リュックと靴が壊れた。リュックは「Gregory Baltri75L 」心棒が折れた。肩に重量がかかり、腰の部分が身体に触れて痛くなってきた。リュックのバランスは大変重要。どう挽回するか。杖を後ろ手にリュックの底を持つようにすれば少しは楽になる。今後は食料も含めて重いものをいっそう最下部に。

さて問題の靴。「AsoloVibram」 ポーランドの旅から使ってすでに5000km歩いてきたものだがボロボロになって穴が空きだした。靴底は今回の旅で交換してあるのだが道は比べ物にならないくらい厳しい。右足かかと部分がすり減りすぎて靴に付属しているスポンジの部分がみえだした。インナーソールにもダメージが。石などを踏まないように道を選ばなくてはならない。

しかも今日もテントの予定。テントの時はビバークということで距離が長めに設定されている。

36.3km

誰がこんな厳しいスケジュールを設定したのだ!と私は言いたい。このように最後が一番厳しい旅になりそうだ。hiroshi ota 頑張れ。しかし考え方を変えてみよう。旅のあらゆる要素をひっさげての歩き旅。景色を観て、話をして、描いて、・・・十分楽しまなくちゃ。

 

Tavira(タビラ)で泊ったゲストハウス(Formosa Guest House)は個室で、部屋専用のシャワー室が付いており鍵が2つ渡されている。24時間制のホテルなので、フロントにはいつも人が居る。
ただ似たような白いドアで、昨日は鍵のかかていない客の個室に入ってしまい大慌て。受付のドアを見誤った。

 

5:19 活動開始。朝食の準備と食事、出発準備。抜かりはないか。

閂式のこの館、一旦出たら二度と入れないのだ。さて例のように寝静まったホテルをあとに広場(Praça da República )に出ていく。雨が降っていた。Rio Séqua川に掛けられた人道橋のPte.Romana(ロマナ橋)を渡るといきなり迷路に。見通しの効かない細い道は避け比較的がっしりした道を選んで高度を上げていく。

R.Álvaro de Campos(アルヴァロ・デ・カンポス通り)はタビラでも一級の道である。朝早いのにBarではもう人影が。ここだけが明るいのだ。N125と合流してそのまま国道を進む。

Vila Nova de Cacelaの町に入って最初の休憩。   

8:36 線路から2157。雨激しくなる。

9:13 狙っていたカフェ Cafe O Ferrolha。ピタリと到着。国道から離れた町の街道。ほとんど車は通らない。男どもが11人も。店角で1人。通りを見張っているような顔つき。よくある光景だ。いまから抗争が始まる西部劇そのもの。皆朝のコーヒーかビールを飲みに来たのに過ぎなく外でタバコを吸いながら通りを見ているのだ。そこを巡礼姿の小生が通りかかる。格好の餌食である。「雨なのにご苦労なこった。」そんな顔付きである。ここで靴を脱げばよいのだがあと1時間ほど歩いてみよう。口には堅めの御菓子をほうばっている。抗争は起こる気配を見せない。TVでは昨晩の事件を詳細に報じている。--9:40

road fence(9:36)
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10:29 ランドマーク間6.2kmという最長のpoint 。そこの町がポルトガル最後の町Vila Real de Santo Antónioである。ポルトガルにオブリガド!幾ら有り難うといっても足りないくらいだ。スーパーの店員はオラー と オブリガドを連発。日本のレジではどうであろう。ほとんど無口で愛想がないのでは。この国の道は決して綺麗ではない、水溜まりも多く歩きずらいが、心はピューアーである。感心。

442811:34 バス停で休憩。雨が続く。荷物は肩に食う込む。兎に角食べて荷物を減らさなくては、

11:58 出発、青空が真上と北西。その他は厚い雲。

12:03 再び雨が降りだす、激しさを増す。12:30 Vila Real de Santo Antónioというポルトガル最後の町に到着。ものすごい雨となった。土砂降りである。皆天幕等に避難している。それを尻目に真っ直ぐ東へ。波止場からでるボートへ。次の時刻は13:30。スペイン時間は14:30。ポルトガルとスペインで時差が1時間あり、今日は23時間しかないのだ。

Vila Real de Santo António(ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ)(12:37)
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対岸はスペイン。

雨除けのテラスで立ち食いの昼食。スペイン側Ayamonte(アヤモンテ)からは週報に詳しい。

Ayamonte(アヤモンテ)(13:21)

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グアディアナ川

対岸がスペインのアヤモンテ。

 

Ayamonte(アヤモンテ)(13:42)

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船賃1.8ユーロ。国境の川は海のような広がり。目指すAyamonte (アヤモンテ) の町が河口から遠い方に白一色の固まりとして見えている。航行時間は25分。Camino を歩きポルトガルからは自転車で旅をする年配に会った、他はオランダ人の観光客。スマホの電源残量が15%以下となり警告が出始める。ここでBar休憩。Patata con Chocoという特別メニューを注文、入り口でそれを食べている人がいたので同じものを と頼んだだけである。別の男性が走りよってきて看板に書かれていない今日の特別メニューであることを教えてくれた。クロンボがずかずか店に入り込んで来たものだから皆の注目の的となる。ならばと。バッテリーとスマホ本体の2つを充電してもらう。その間、近くのスーパーで買い出し。16:00位まで粘ったせいでスマホには65%ほどのチャージされた。

16:00から日が差し暑くなる。

17:33 3.1kmのカウント25_05_007 b 手前100m.で疲労困憊。48mのなだらかなup

夕刻となって寒くなり始める。上下レインコートを着る。この休んだ場所にはプラスッチクの欠片がいくつか落ちていた。それを一つ拾って小さく割り、穴の開いた靴底を塞いでみた。

 

ビバーク予定場所まで6kmほど。18:12

天候が持てば幸いである。明日はホテルを予定するものの36kmも歩かなければならない。よって今日はあと6km以上がノルマである。食材は日曜日用にと多目にパンを仕入れてある。水が重く腰を圧迫。贅肉ゼロの身体に堪える。

どうも靴がいけない。穴がどんどん大きくなり、インナーソールまでも穴が開いてきた。先ほど当てがったプラスチックの破片がどこまで持つか?

5.8km目で道路に置き去りに。後ろを振り向くとプラスチックの破片が落ちていた。靴穴を通り貫けたのだ。明日の宿泊場所Huevlaで靴を買うか修理かを決めよう。

    

 

Tavira(タビラ近郊)(sketched at 16:13 in angle of 34°)
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N125の風景。GoogleStreet Viewでもこの風景が確認できる。

 

川に降りていく道路を見つけた。松の針葉が散り敷いて車など通った形跡はない。坂道ではあるが申し分のないスペース。道路から下がった位置にあり灌木もあって視界からは遮られている。ok
今日のビバーク地と決めよう。下図のような場所である。

25_05_008_b 20:55設営開始 21:11設営終了 就寝。

 

Monterreina(モンテレイナのテント場所)(18:50)
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MapBetween Tavira Monterreina
(
タビラからMonterreinaまでの地図)
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